4.バイオテクノロジーの賜物
江戸時代には「バイオの匠」が大勢存在していたこと、すでに学んでいただけたと思いますが、江戸の植木職人が花開かせた、日本人が大好きな花“ソメイヨシノ”について、もう少し詳しく学んでみましょう。
ソメイヨシノは1850年頃、染井村(現在の東京駒込辺り)に住んでいた植木職人が、野生のエドヒガンとオオシマザクラを人工的に掛け合わせて作り出したもの。これ、まさしくバイオテクノロジー(品種改良)の賜物です。
花の美しさに見せられた江戸の人々の間で、瞬く間にソメイヨシノは人気を博し、あちらこちらに植えられることとなり、いまや日本の桜の70~80%がソメイヨシノと言われています。
みんなから愛されているソメイヨシノですが、種の形で子孫を残すことができません。つまり、自身と同じDNAを持っているソメイヨシノ同士の花粉では受精できないのです。
(もちろん異なる種類同士の桜で受粉することは可能(自然交配)です。しかし、自然交配では合いの子となってしまうため、どんどん花の形や色が変化してしまい、ソメイヨシノの種を維持することができません。)
では、どうやって、子孫を増やしていったのでしょう?
ここでもバイオテクノロジーが大活躍。
ソメイヨシノは、「接ぎ木(挿し木)」という増やし方で、子孫を残してきたのです。「接ぎ木」とは、増殖を目的とする植物の枝や芽等を切り取って、他の植物に接ぎ合わせ、新しい木として育てる手法です。
親株と全く同じDNAをもった新しい木が育つわけですから、「接ぎ木」とはクローン技術の一種なのです。
日本人は接ぎ木の技術を平安時代から知っていたということですから、全くオドロキですね。
最新のDNA解析技術で、日本中にあるソメイヨシノのDNAは全く同じということが分かりました(平成19年3月26日日本育種学会記者会見「PolA1遺伝子改正記によるサクラの縁類関係-ソメイヨシノの起源-」)。
これは、たった一本のソメイヨシノを親として、「接ぎ木」を繰り返して増やされていった、ということを意味しています。しかし、人間の手による「接ぎ木」で増やさない限り、ソメイヨシノは子孫を残せない訳ですから、人間がこの世からいなくなったらソメイヨシノも滅びてしまうのです。
ちょっと悲しい運命ですね。
次のお花見の時期には、こんなことに想いをはせながら、日本人の大好きなソメイヨシノを眺めてみてください。
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